この記事でわかること
- 「誰かのせい」にして生きるのを辞める方法
- 「辛い」という気持ちの正体
- 「自分の人生」を生きるための方法
- 「本当の自分」とは何か
人の生き方って、「思考」で大体決まってしまうんですよね。
恋愛傾向や家族関係をはじめとする、人間関係はさらにその傾向がよくよく見られます。
「私のことを愛してくれない彼が悪いから、もう別れる!」
「あなたが帰ってくるの、ご飯も食べずにずっと待ってたのよ」
「あなたのために言ってるのよ!」
これって、実は自分の心を縛る、黒ーい魔法のコトバなんです……。
これらのコトバは、すべて結果が自分の思い通りにいかなかったことを、誰かのせいにしているんです。
あなたにはわかったでしょうか。
今「辛い」と思っている人へ
生きていると、辛いことや悲しいことにたくさん出会いますよね。
もちろん、辛いことだけではなく、楽しいことや嬉しいこと、心躍るようなこともたくさん経験すると思います。
でも、辛い思いをしているど真ん中にいると、心の中で辛いと思っている出来事が何度も蘇ってきますよね。
そのたびに「お前はだめなやつだ」と、何かに言われているような気持ちになってしまう……。
だんだんと落ち込んできて「もう私なんてダメなんだ……」と思い込んでしまう一方、それをかき消すように「いいや、私は悪くない!あいつがこうやったから悪いんだ!」と、心を奮い立たせることも。
ありますよね。
パートナーと喧嘩したときは、特にそうです。
パートナーは自分の鏡であるから、言われたことが痛いところにモロに刺さってくるんです。
「なんであんたにそんなこと言われなくちゃいけないの!?」と思って、売り言葉に買い言葉。
最初は些細なことだったのに、いつの間にか大事になってしまう……。
あるある。
で、そのモヤモヤしたイライラや悲しみ、不安などは、あなたの心に新しくこびりつきはじめます。
そして、また別の日に「あの時あなたはこう言って私を傷つけた!」と怒り狂います。
これ、続けるのって本当につらいですよね。
本当は仲良くしたいのに、それができない。
でも、その理由がなんだかわからないんですから。
大切な人なのに、傷つけ合う。
これは、自己防衛を重ねて戦争状態になってしまっているんですね。
この状態。
実は、自分の人生が、「自分の心(マインド)」に支配されてしまっているんです。
「こうしたい!」と思うことがあっても、それがうまく達成できないのは、あなたの心(マインド)が暴れ馬になってしまっているからかもしれません。
そして、心と体は繋がっているから、暴れ馬に引っ張られた馬車は、引かれるがままにどんどん暴走してしまう。
その影響で、体に不調が起きてしまうこともあるのです。
まったく、厄介ですよね。
心と体はつながっているので、負のスパイラルに入るとどんどん降下していく……。
でも、心(マインド)っていうのは、「本当の自分」じゃないんですよ。
辛い気持ち、許せない気持ち、怒り、悲しみ、恨みつらみ……それを生み出すのは、「心(マインド)」という、あなたの一部なんです。
じゃあ「本当の自分」ってなに?ですよね。
それは、魂(スピリット)です。
心のもっと奥にある、純粋な輝きを持つ存在です。
「本当のあなた」が輝き出せば、心をしずめて、体も思い通りに動かせることができるはず。
このページを読んでいるあなたが、私の伝えることに「そうかもしれない」と思ったら、変化が訪れ始めるはずです。
その気付きは、あなたの人生を圧倒的に楽にしていきます。
辛く、理不尽な選択を強いられる場面もあったかもしれない。
特に子供の頃は、誰もが親の支配下にあり、自分で選べる道が限られていました。
でも、今の「あなた」は自由なはずです。
「辛い」渦中の中で生き続ける人生と、辛さを渦の上から見下ろしていく人生。
それを選べるのは、今です。
過去起こったことは変わりません。
しかし、あなたには今や未来は変えられる力が備わっているのです。
「辛い」と思って人のせいにしてしまう人はもっと辛い
「辛い」と思ったときに、人のせいにしてしまうことってよくありますよね。
私もいつも自分の心と向き合うように努力をしていても、まだまだあります。
「あなたがそこに包丁を置いたから怪我したんでしょ!」とか「あなたが晴れるって言ったから洗濯回したのに、雨じゃん!」なんてね。
こんなんならまだかわいいものですが、これが心の問題になってくるとさらに辛さは倍増してきます。
「あなたは私が悲しんでいるのを放っておいてよく平気でいられるわね!」とか
「また私のことを傷つけて、そんなに楽しい?」とか。
また、一方ですべてを自分のせいにして、自分の心に罰を与えることで、満足しようとする心の状態もあります。
例えば、「こうなってしまったのはすべて私のせいだ。」とか「私さえいなければ全てはうまく行った」とかね。
具体的な背景はそんなに書いていないのに、この言葉だけでなんだかいやーな気分になっちゃいますよね。
そう、その感性は間違いないんですよ。
人のせいにすると苦しくなる理由
実は、これらの「人のせいにする言葉」って、さらに自分のことを苦しめてしまうことだから。
その理由は2つあります。
- 人のせいにすると、悪い言葉を使うだけでネガティブな気持ちになるから
- 人のせいにすることで、自分で自分の人生をコントロールできないと、潜在意識で思ってしまうから
こんな理由があるんですね。
単純に「バーカ!」とか「うっせー!○○野郎!」とか言うだけでも、なんか嫌ですもんね。
それをパートナーや大切な人に言うことは、決して嬉しいことや心躍ることではないはず。
また、SNSで誰かを批判している文章を見続けるのも良い気分にはなりません。
なので、ずっとスマホをいじっていて、誰かの荒探しをしている人はちょっぴり注意が必要なんです。
そして、人のせいにすると、自分の人生なのに人に選択肢を与えてることになっちゃうんですね。
それが当たり前になってしまうことは要注意です。
なぜなら、人に求められることしかやらないから辛くなるんです。
本当はチョコレート味のソフトクリームを食べたいのに、勝手にバニラにされたらちょっとモヤっとしますよね。
でも癖になると、人生の大きな決断後人の手でくだされてしまうようになります。
すると、自分の人生は自分では変えられないんだ……辛い。というマインドコントロール(マインドによる)にあってしまうんです。
「人のせい」をやめて、幸せになる責任をもつ
さて、ここからお伝えすることはとても重要なのでよく聞いてほしいと思います。
ついつい「人のせいにしてしまう」ということはありませんか?
これ、でも、これはできれば避けておきたいものです。
というのも、今まであなたが歩んできた人生はあなたの選択したことによって出来上がっているからです。
それを人のせいにすると、自分の中で自分の人生がコントロールできないことになってしまうのです。
本当は、何かの結果を人のせいにしても、それは人のせいではないし、自分のまき散らしてきた種の果実を回収しているにすぎないのです。
そう思うと、耳が痛いですよね。
耳のみならず、心もいたいいたい……。
心をシャットアウトしてしまいたくなることもあります。
でも、それでも自分を受け入れてあげるといいんですよね。
チョコレート味が食べたかったら、人の顔色を見ずにチョコレートが食べたいと主張していけるといいんですよね。
こんなときに「でも、相手に悪い気分にさせてしまうのではないか」と思う人もいるはず。
私もどちらかというと顔色を伺ってどっちでもいいよなんて言ってたのでよくわかります。
けど、あなたが発した言葉に相手が激怒したら、それはその人の問題です。
あなたが相手を傷つけるために言ったのではない言葉に対して怒ったり拗ねたりするのは、相手のものの考え方に癖があるからです。
「私は常に人から優先されなければならない」なんて信念(後天的についてしまった思考の癖)があったら、バニラを渡されたら怒るかもしれませんね。
でも、それはその人の心のトレーニングなんです。
「私は怒っている」と第三者の目から見るように自分の感情に気づけたら、「なぜだろう?」と自分のマインドに聞いてあげるといいんですよね。
そうすれば、駄々をこねるように暴れていたマインドの本当の願いを叶えてあげればいいんです。
例えば「怒っているのは優先されなかったから。だって、お母さんはいつも私を優先することで愛情を表現してくれた。そうじゃないってことは、私は愛されていないってことなんでしょ。」なんて声も聞こえてくるんです。
これは例ですが、大体が幼少期の欠乏感によって思考の癖を抱いているものです。
ここまでいくのはとことん向き合うので大変です。
何層にも厚く膨れ上がってしまった氷の塊を、外側からじわじわ剥がしていくようなものです。
でも、これで自分の人生に責任が持てるんです。
「私は自分を幸せにする」と良いことも悪いことも受け止めていくようになれればいいんです。
良いことも悪いこともあるよ、だってにんげんだもの。
そこで「わたしは〇〇できなかった!〇〇するべきだったのに!」とか自己嫌悪に陥ったり、「あいつが〇〇していれば〇〇できたのに!」と人のせいにしたくなったら思い出してほしいんです。
「あー、人のせいにしたくなってる!」と。
自分の感情に気づいてほしいんです。
怒りがある、悲しみがある、不安がある。
それは一体なぜなのか。
それはあなたにしかわからないものなんです。
なので、その主観的な心の乱れに気づいてあげることがまずは第一歩。
そして、自分の心と向き合って昇華していく。
腑に落ちると、「そんなことだったのか」って、気持ちがフッと軽くなるもんです。
あなたの人生は、他でもないあなたのものです。
なので、他の人にあなたの人生の選択肢を捧げないでください。
「私はこの人と結婚したから幸せになれるに違いない」と他人に期待すると、どこかで必ず裏切られます。
なぜなら、人は人の人生を生きているからです。
120%あなたの思考を読み取れるエスパーでもないし、例えそうだったとしても「嫌だ」と思ったらあなたの望むようにらならないものです。
でもね、これがいいんですよ。
だって、心が揺れるってことは、生きている醍醐味でもあるから。
なので、辛いってことも俯瞰した目線を持って楽しめるようになるといいですよね。
私もそうなりたい!笑
また、トラウマになっている人の場合は、その物事に対して考え方に癖ができてしまっていることがあるんです。
なので、そのくせが強いと強いほど、なかなか腑に落ちないこともあります。
けれど、実はものの出来事に「良い」とか「悪い」とかはありません。
「良い」「悪い」を決めているのは、他でもないあなた自身なんです。
例えばです。
食事の時にくちゃくちゃと音を立てて食べるのは「悪い」と思っている。
それは、確かにマナーとしては大切かもしれませんが、結局のところその人の生まれ育った中での価値観です。
さらに例えば、アメリカなどの外国に行ってラーメンをすすって食べてみましょう。
そうすると、アメリカ人は「Oh……(めっちゃお行儀悪いね)」と思うわけです。
でも、日本人からしてみれば「え?なに?一口ほしいの?」と全く見当違いなことを考えるものです。
このように、人と人の考えというのは全く違います。
なので、自分の中の「~して当然だ」とか「常識」というのは全く通用しないと考えましょう。
その人にはその人なりの常識があるのです。
それはその人が生きてきた中で培われるものであり、それはあなたとは全く違うのです。
さて、話を戻します。「好き・嫌い」や「常識」を決めているのは自分自身という前提で話をします。
今までの人生で、勝負事で人に負けて悔しい思いをすることもあったはずです。
そんな時に、「自分には無理なんだ」という思いにかられてしまいます。
「こんなこともできない自分は価値が無い」とか「人に負けると認めてもらえない」とかですね。
思った事ないですか?
私はたくさんありますよー!笑
この世に生きるすべての人があるはずです。
「容姿にコンプレックスを抱いている」「体型がスリムでない」「性格が悪い」などなど。
そんな中で、自分に劣等感を抱いてしまうんですね。
そして、「辛い」という感情が、いつの間にか本当の自分のもつ可能性というものを曇らせていくんです。
そうすると、あたかも自分の人生は誰かに支配されているような気になってしまうんです。
でも、辛いと思うのは、偽の自分(心・マインド)が選んだ道を生きてきているだけなんです。
どういうこと?それは次で説明していきましょう。
カルマの法則で本当の自分を生きる
アーユルヴェーダやヨーガでは「カルマの法則」というものがあります。
「カルマ」というと聞いたことがありますかね。
バンプオブチキンでも「カルマ」という楽曲がありますね。
その中にこんな歌詞があります。
鏡なんだ 僕ら互いに
それぞれのカルマを映すための
汚れた手と手で触りあって 形がわかる
(「カルマ」by BUMP OF CHICKEN)
個人的な解釈ですが、これは人間関係でみられるものなんですよね。
自分の心・マインドってのは自分では見えないんです。
マインドってケアしないときれいじゃないんですよね。(稀にきれいな人はいますが!)
オギャーと生まれたときから、その人の人生の経験によって培われてだんだんと価値観を持っていきます。
その価値観とかが生まれ持ったものに付随して、性格となってくる場合がほとんどです。
で、ほかの人に指摘されたりなにかを言われたりすると「あ、そうかも」とわかるときがある。
それに、言い争うときとかもそうです。
言い争うときにはその人の心の「居心地の悪い部分」に触れているんです。
だから、コミュニケーションという価値観の中で「こんな風に自分は感じているんだ・思っていたんだ」と自分の心を認識していくことができるんです。
これを読んでいるあなたには、是非ともそれを実践してほしいと思っています。
さて、歌詞の話はさておき、「カルマの法則」について。
カルマの法則とは、自分の行った事は自分に帰ってくるということです。
「自業自得」ということですね。
悪いこともいいことも、自分の元に帰ってくるよというもの。
ちょっと怖いですよね。これを聞くと。
けど、良く考えてみればそれもそうなんです。
パートナーや子供に対して、いつもご機嫌なお母ちゃんだったら、周りも引っ張られて明るくなりますよね。
一方で、自分のイライラした感情に振り回されて、それを周囲にまき散らいしていると、他の人もギスギスします。
なので、人とのコミュニケーションをまず良くしたいと思ったら、自分が変わることが大切なんですね。
あなたがやったことはあなたに帰ってくるから。
徳のあることをすれば、あなたは人に優しくされるかもしれないし、不徳なことをすればバチが当たるかもしれません。
なので、カルマはあなたのことを自由にするひとつの考え方なんです。
え?自由じゃなさそう?逆に縛られそう?
それは、あなたの心があなたを支配しているからそう感じるんです。
「〇〇しなくちゃいけない」「〇〇は駄目だ」という強迫観念に支配されてるんです。
「自由」というのは、魂の自由のことで、人という小宇宙が、大宇宙に還っていくことが本当の自由です。
ちょっとこの話をすすめるとはこんがらがるので今回はここまでにしておきます。
なので、「〇〇しなくちゃいけない」と言う気持ちはあなたを縛るようで自由にします。
なぜなら、あなたが「幸せになるんだ」と思ったら、それを実行すればいいだけだからです。
「だけだから」って言っても心と身体にアンバランスがあるとそっちに引っ張られちゃうので、そこはちゃんとケアする必要があるんです。
でも、「自分の人生は自分で変えられる」って思うと、ちょっと嬉しくなりませんか?
だって、辛くない道も自分で選べるんだから。
でも、それはまた鍛錬なんで、厳しくはあるんですけどね!笑
どっちを選ぶかは本当にあなた次第なんですよ。
そんなこと言いながらも、人生の大筋はすでに決まってるという話もありますけど!笑
「辛い」という気持ちは人生を変えるチャンス
アーユルヴェーダやヨーガでは「辛い」という感情は、「自分」という思い込みの中に生まれると言われています。
「自分」という思い込み?一体どういうこと?ですよね。
ここで、「人間」という存在を分析していきたいと思います。
人間は「体」「心」「魂」でできています。
この「辛い」という感情が生まれるのは、「心」ですよね。つまり、マインドです。
このマインドが「劣等感」というものを飼いならしているんです。
そして、いつのまにか、「劣等感」というペットが大きくなってきてしまうと、魂の純粋な思いが見えなくなってしマンですよね。
「ネガティブ」という餌をどんどん食べて、肥えてきてしまった劣等感や自己嫌悪という感情に、いつの間にか支配されてしまうんです。
そうすると、「自分は暗い人間だ」とか「愛されない」という劣等感に苛まれます。
そして、その心をベースとした、人生の選択をしてしまうんです。
例えば、「私は愛されない」という劣等感を持った人は、いつの間にか愛されないような場所に自分の身を置いてしまうのです。
風俗のような場所に身を置いてしまうのもそうかもしれません。
そして、いつの間にかどんどん心を病んでしまうこともあります。
なぜなら、自分の「私は愛されない」という劣等感にどんどん餌をあげているからです。
劣等感に支配されたマインドは、餌がおいしくてしょうがないので、「もっともっと!」とねだります。
そうするといつの間にか、その「辛さ」を「快感」として感じるようになる。
トリッキーなのが、人間として感じていることは「辛い」という感情なんですよ。
いつの間にか麻薬のように「辛い……ああ、気持ちいい……。」みたいな状態になってしまうんです。
でも、「大切に扱われない私が普通」と深層心理思っているので、意識している中では気づけない……。
何となくおわかりいただけましたか?
時として人は「辛い」というのを人生の快感をして、わざとそれを実現させている一面があるんです。
いやはや、無意識に生きているとこうなってしまうんです。
でも、「自分のマインドは自分がコントロールするんだよ」とわかっている人は違います。
なので、「辛い」と思ったときは、本当の自分に戻るときのチャンスと思ってください。
人は辛いと思っているときこそ、自分の痛みを昇華させることができるから。
何度も言いますが、あなたが「心や体」は「私」であると思っているのが諸悪の根源(!)なのです。
心や体は本当のあなたではありません。
本当のあなたは「魂(スピリット)」なのですから。
なので、そのマインドを「きみは本当の私じゃないね」と見破ってあげることで、それを解除していってあげることができるんです。
「自分」と思っている「自分」は、「本当の自分」?
あなたにちょっと考えてみてほしいことがあります。
「自分」と思っている「自分」は、「本当の自分」なのでしょうか。
「私」というと、自分の体を意味する人が多いと思います。
時に、「私は心だ」と思う人もいます。
でも、両方とも違うんですね。
生まれて生きていく上で成長してきた肉体とは違う。
状況によって移り変わる心も本当のあなたではない。
もう一回言います。
「私」とは「魂」なんです。
でも、魂はもちろん肉体と心があって、生物的な生活をすることができるので、もちろん必要です。
だから、アーユルヴェーダで自分の体と心のバランスを保つことが必要なんです。
ただ、忘れてはいけないのが、それをコントロールするのは本当の自分、魂であるということ。
そして、壮大な宇宙は、あなたの体と心を通じてその一生のうちに、何か人のためになることを実現しようとおもうのです。
それが、「ダルマ」ですね。
あなたの行いや仕事によって、それを世のため人のためにになるように。
人間生きていく中で、出家しない限りは人のために働いてお金を稼いで生きていくという手段しかありません。
どんなにスピリチュアルな結びつきがあろうが、異次元と対話ができようが、人のために行動しないと人は生きていけないんですねえ。
なので、スピリチュアルに開花すれば「楽になれる」というのはタダの幻想でしかないでしょう。
むしろ、本当の自分をみいだしたら、「自分の人生に責任をもって」生きていくようになるんです。
良い行動も悪い行動も、自分がしたもの。
結果を受け入れて、ただ生きていく。
フィギュアスケーターの羽生選手とかもすらっとした体型で勝負強いですね。
この人はまさに「天から与えられた才能だ」とかいうじゃないですか。
スケートを通して人々に勇気を与えるとかが彼の仕事なのかな。
けど、それって、みんなそうなんですよ。
ただ、マインドが邪魔をして、思うように達成できない人や、そもそも本当の自分の道に気づかない人も居るんです。
すると、なんだか自分がやるせなくなってしまうことがあるんですね。
他人軸で生きるようになっちゃうから。
だから、自分の心と体をいかに整えるか。
向き合うかってことが最初のステップなじゃないかなーと思うんです。
魂といったら「無意識」なんで、それを具現化するために心と体を通じて体現していくほかないんです。
「本当のあなた」はまだまだ身を潜めているはず
「本当のあなた」は、体でもなく心でもないんですね。
そのもっと深いところに鎮座しているんです。
心が乱れたら、チャンス!と思って「どんな感情になってるのかな」「この気持ちのでどころはどこかな」と、向き合ってみてください。
そうすると、だんだんと自分の心がわかってきます。
そして、同時に体のケアもしないと心が重くなってきて思考が鈍ってしまうので、それもお忘れなく!
魂はみんな持ってるものだから、ちゃんと向き合えばあなたらしく生きることができるんです。
そこまで行けるのに個人差はもちろんあります。
でも、それってまた人生の道みたいで面白いと思ってやってみるといいですよね。
それでは、また!