スピリチュアルはスピリチュアリティ。つまり、「精神的な」と言う意味。
でも、怪しがられたり変だと思われたりすることも多いジャンルです。
なぜなら、スピリチュアルとして語られることは目に見えないものだからです。
でも安心してください。
スピリチュアルは怖いものでも怪しいものでもありません。
ただ、それを使う人がスピリチュアルの世界のみに傾向するために、
時におかしくなってしまうことがあるだけです。
今回はアーユルヴェーダ哲学やヨガ哲学に則ったスピリチュアルの意味をお話していきます。
こんな方におすすめ
- スピリチュアルを勉強している・したい
- 引き寄せの法則を勉強している・したい
- スピリチュアルに生きたい
- スピリチュアルとはどんな意味か知りたい
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それが幸せになるための方法であるということがわかります。
苦手な人もいると思いますが、
誤解をしたままではもったいないこと。
ぜひとも最後まで読んでくださいね。
スピリチュアルとは?本当の意味は「精神的な」
「スピリチュアル」と言うと、
「風の時代」「波動」「エネルギー」「氣」とか
いろいろな言葉を聞きますが、
スピリチュアルとはズバリ「精神(魂)」のこと。
言葉の定義としては「精神的な」ということですね。
アーユルヴェーダやヨガでいう
「スピリチュアル」も、魂を指します。
魂とされている部分はプラクリティ。
簡単に言えば、宇宙のかけらが魂です。
その宇宙のかけらが人間の心と体を通じて、現れます。
それが個性や自分らしさです。
なぜか知らないけれど惹かれたり、
なぜか知らないけれど情熱をもってやりたいと思う事は、
その魂(プラクリティ)の存在そのものが
反映されている生き方ということです。
(詳しくは後述します。)
実際、今日本で有名になっている「スピリチュアル」は、
アメリカで1980年代にブームになった
ニューエイジ系のことが語られます。
それは、大いなる宇宙とつながるとか、
アセンション、守護霊・天使など
いろいろな形で目に見えない世界が表現されています。
このように、見えない存在や魂はどんな存在感かわからないし、
体のようには見えないし、
心のように感じられたりするかもわかりませんよね。
でも、魂はどんな人でも持っているもの。
魂ってどんなもの?って言われても、
私は実際には見たことも触れたこともありません。
でも、体や心と同じように
存在するものとされています。
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Yotutubeでもスピリチュアルに生きるということについてお話したものを置いておきます。
ぜひごらんください!
混乱される「スピリチュアル」という言葉
「Spiritual」という言葉は、
単純に自分を超えた大きな存在や
自然への畏怖などの感覚です。
しかし、スピリチュアルと聞くと怪しいイメージ、
詐欺、浮足立っているなどのイメージがあるかもしれません。
その理由にはスピリチュアルという言葉自体が、
実際に色々な意味をはらんでしまっていることが
原因に挙げられるかもしれません。
例えば、サイキックやエネルギー、
波動、宗教などです。
それでは、どのようなものが
「スピリチュアル界」として考えられてるのでしょうか。
それをお伝えしていきます。
サイキック(降霊術)
サイキックとは、降霊術のこと。
よく死んでしまった人の霊と話ができたり、
ペットの気持ちを代弁したりする人がいますよね。
あの人たちのことをサイキッカーと呼びます。
霊と話をしたり見たりできる人のほかにも、
こんな人がサイキック能力のある人として挙げられます。
- 透視ができる
- 未来予知ができる
- 言葉を使わない意思疎通ができる
- オーラが見える人
つまり、サイキック能力というのは、
運動神経が良いとか、IQが高い、
共感性が高いなど、
人の能力の1つとして分類されるもの。
なので
「スピリチュアルな人=サイキックな能力を持っている」
と考えるのは少し違います。
話はズレますが、サイキック能力を持っていても、
スピリチュアルに生きられていない人もいますし、
サイキック能力を持っていなくても
スピリチュアルに生きている人はいます。
なので、「サイキック能力=スピリチュアルな人」
という等式は必ず成り立つものではありません。
宗教
悪い宗教は、人からお金をだまし取ったり、
人を傷つけてしまうことがあります。
日本でも「ヨガ・瞑想=危険な物」と
思われるような危険な宗教団体の存在もありました。
なので、日本人において、
「宗教=悪い物、お金をだまし取られるもの」
といった考えが植え付けられて
しまっている部分もあります。
霊感商法とかも「宗教」の一部と
考えられているものもありますよね。
「あなたの後ろに危険な霊がいます。
除霊するので50万円ください」のように……。
人の恐怖感を見えない世界で煽って、
お金を取ろうとしている人がいるので、
見えない世界であるスピリチュアルも
危険だと思ってしまうのも当然のことでしょう。
でも、宗教は海外では普通のことですし、
むしろそれによって心穏やかに、
コミュニティを作って暮らしていることも実質あります。
私たち日本人でも正月には神社に行って
神様に挨拶するはずです。
本当は知っているはずです。
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己の欲を満たそうとする人のせいで
このようにネガティブな印象に
なってしまったのかもしれませんね。
引き寄せの法則・潜在意識
引き寄せの法則はスピリチュアル好きなら通る道でしょう。
私も引き寄せの法則は確かに目的があり、
それを行動に移すためのモチベーションを
維持するのにいい方法だと思っています。
潜在意識は心理学者のジークムント・フロイト
が提唱した精神分析の概念の一部です。
簡単に言えば、私達が意識して感じる気持ちより
さらに奥底に、その原因となるものがあるという考えです。
潜在意識の書き換えや引き寄せの法則について
私が危険だと感じているのが、
「引き寄せの法則だけやって、実際に行動に移さないこと。」
また、自分の努力を客観的に認めず、
「すべては目に見えない何かのおかげ」
と盲信してしまうことです。
これによって人間力が欠けてしまうのは、
本当の意味のスピリチュアルではないように思います。
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人生の時間を無駄にしてしまうのよね。
哲学
哲学は実際にはスピリチュアルではありません。
「心(思考)」はどのような動きをするのか
と、とことん突き詰めた、
いわば心理学のようなものです。
(※心理学と違うところは、再現性のある実験をおこなっていない点)
しかし、「哲学」といっても、
古代ギリシャ哲学と古代インド哲学は異なります。
特にインドの哲学は、魂やそれを総括する
バガヴァーン(全宇宙の知性)や
イシュヴァーラ(純粋なプルシャ;魂的な概念)を概念の中に使っています。
それは、人間個人の心の動きだけではわからない
大きな存在が背後にないと説明できないからです。
なので、心を理論的に説明しようとする哲学も、
結果的に目に見えない概念を登場させるため、
スピリチュアルの1つとして扱われることがあるようです。
アーユルヴェーダ・ヨガのスピリチュアルの意味
アーユルヴェーダやヨガにおいて、スピリチュアルとはどのような意味なのか解説していきます。
人間の一部(魂・心・体)
アーユルヴェーダやヨガの哲学では、
スピリチュアリティというのは、
人間を構成する一部と言われています。
それが以下のような図で表されます。
![](https://rtamayurveda.com/wp-content/uploads/2021/10/37.png)
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このように、人間は体と心と魂の三つによって成り立っているといます。
魂というのは、大きな宇宙(自然界)の一部です。
宇宙の一部が私たちの心と体を通じて、何かを実現させようといいます。(=ダルマ)
人によって、その表現方法は千差万別です。
例えば、「世界を癒す」という同じ魂の願いを2人の人が持っていたとします。
Aさんはもしかしたらピアノが上手で、音楽によって人を癒すかもしれない。Bさんは勉強が得意で手先も器用で、外科医として人を癒すかもしれない。
だから、魂からの望みを実現させるためには、その望みを自分という存在で表現するために、心と体を常にきれいにしておく必要があります。
さて、賢者は言います。
宇宙も人間も、もともとは一つであった。
しかし、一つのものを観察する存在が現れ、
それが分化し、結果として人間という存在が生まれた。
ざっくり言うと、人は自分の意思を持って生きているようだけど、それは幻想ですよ~ということ。
さらにいえば、自分も他人も存在せず、すべては一つであるということです。意味わかりませんね。
スピリチュアルの言葉で「ワンネス」という言葉が使われると思いますが、これもそれと同じです。
でも、やっぱり生きているし、楽しいことも苦しいこともあるのは間違いないですよね。
ということで、アーユルヴェーダ的に「スピリチュアルに生きる」ということは、
自分の魂からの願いを現実世界に創造するということです。
賢者の話についてはまた別の場所で説明しますね。
スピリチュアルは幸せに生きるための手段
結果、スピリチュアリティ、スピリチュアルとは何なのかというと、「幸せに生きるための手段」です。
例えば、守護霊を信じることで、自分の心が穏やかになって楽しく日常を過ごせるのであれば、それは素晴らしいものだと思うのです。
ですが、スピリチュアルという名前を使って人を傷つけたり、反社会的な行動をとることは、やっぱりいいものではありません。
よくスピリチュアルでは「良い・悪いはなく、すべてはニュートラルだ」と言いますが、それを自分の利己的で卑怯な望みをかなえるためや、正当化するのに使うのは、果たして幸せになる方法と言えるのでしょうか。
あくまでも、見えない世界やスピリチュアルというのは、三次元に生きる私たちが、社会的の中で幸せになるための手段としてあるものです。
スピリチュアルを信じているために、心が傷ついているなら、さっさとそんなもの捨ててしまった方がいいです。
毒になるものを信じ続けていても、幸せにはなりません。
「何のためにスピリチュアルを勉強しようとしているのか。」
これを何度もあなた自身に聞いてみてほしいのです。
その中で、幸せになりたいと思っているのに心が傷ついているならしっかりとケアしてあげる必要があるし、体に不調があるなら整えていく必要があると、私は思っています。
もし、スピリチュアルに生きていきたいと思っていても、心に傷がついてしまっていたらスピリチュアルを現実逃避に使ってしまう可能性があります。
「私はそうかも」とちょっぴり気付いたなら、あなたも早速ケアをしてみてくださいね。
今日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!
メルマガや個人セッションもありますので、ご興味がありましたらご利用ください。