こんな方におすすめ
- 人間が生まれる前のスピリチュアルな話を知りたい
- 魂と肉体はどのように結合するのか知りたい
- スピリチュアルな話がすき
人間が生まれるときのことって知っていますか?
あなたは人間が生まれるときのことを知っていますか?
そんなこと知りませんよね。
私も実際に見たわけではないのでこの話を読んでから「そうなんだ~」程度にしか考えていませんでした。
しかし、子供が生まれてからというもの、私は常にやっぱりこの考え方は意外とあっているのでは?と思っています。
きっと、私は子供を育てているようで、本当の自分と向き合うための題を課せられているのではないかとも思うのです。
最近では胎内記憶ということも話題になっていますよね。
もしかしたら、あなたのお子さんが覚えているかもしれませんよ。生まれる前のことを。
信じる信じないは別として、是非とも読んでみてください。
生まれる前のこと
私は魂です。
今はながーい行列の半ばにいるの。
行列の一番前では、地上に行くための肉体と心をもらって、どのお母さんから出ていくかを選んでいるの。
そこでお母さんを選んで整理券をもらえれば、人間として生きることができるらしくてさ。
ほら、今一番前の魂は、優しそうなお母さんを選んでいったでしょ?
お母さんを選んだら、地球という星で生活をするのに必要な「肉体」と「心」を配布されるんだって。
私もどのお母さんがいいか、今、見ているんだ。
あのお母さんが優しそうかな?あっちの方が面白そうかな?
私は生まれたらこの写真みたいに「優しいお母さん」になってみたいんだ。
別に理由はないよ!なんとなく、なってみたいんだ!
あとねあとね、「ジンセイ」は、ジェットコースターみたいに上ったり下ったりするんだって。
選ぶ肉体と心によって、その上がり下がりが違うらしいよ!
あなたはどれを選ぶ?
おっと、かみさまが私のことを呼んでる!私の番だ!
かみさまに呼ばれたとき、地球に言っていいよって言われるんだ。
じゃあ、いってくるね!
「お母さんのことは選んだかの?」
「はい、決まりました!」
「じゃあ、おぬしの肉体と心を授けよう。」
「はーい!ありがとう!わーい!これで人間になれる!」
「おめでとう。でも、注意しておくべきことがある。
人間の心と体を持つと、今の魂のお前のことをすっかり忘れてしまうんだ。
そして、気づいたら自分の本体は「肉体だ」とか「心だ」とか思うようになる。」
「え!それじゃあ今の私のことは何もわからないの?」
「ああ、ほとんどわからなくなる。人間歴が長くなるとさらにじゃ。」
「ええー……。じゃあ人間として生きるのって楽しくなさそう。」
「そんなことはない。あとな、時として魂のことをわかる人もいるぞ。」
「時として……?」
「そうじゃ。心と肉体を持ちながらも、魂の自分を感じ取って生きている人もおる。」
「どんなふうにすればそれをできるの?」
「それは、己の心と体を純粋に保つことじゃ。」
「純粋……。」
「そう。人間界には「常識」というものがある。」
「ジョウシキ?」
「それにとらわれすぎると、どうしても自分の心を失ってしまう。」
「わかった!じゃあジョウシキに注意して生きるよ!」
「それだけではないぞ。おいしいチョコレートやコーヒー、酒という誘惑も存在する。」
「なんだそれ!チョコレー……?」
「ははは!それに惑わされずに、心と肉体を自分のものとしてコントロールすればいいのじゃ。」
「ううん……。よくわからないけれど。私にもできるの?」
「ああ、できるとも!誰もが自分の魂を持っているんだ。だから、本当の自分を見つけ出したいと思ったら、できるんだよ。」
「そうなんだ!それならよかった!じゃあ行ってきます!」
「まてまて!人間として生き始めたばかりの頃は、体と心を現地で慣れさせなければならないのだ。
お前が赤ん坊としてこの肉体を授かる。そ
れが大きくなる度に様々な刺激が心を通じて感じ取られるだろう。
そして、赤ん坊として生まれ落ちたお前を、時としてお前を育てる存在が、魂の存在を曇らせるようなことをしてくる。
だが、忘れてはならんぞ。
これが人間界で生きるときに起こる自然の流れじゃ。
これがないと心と体をまず大きくすることができないからじゃ。
生物として自立して生きていけるようになれば大丈夫。
お前はもう一度魂のお前を思い出して、それを叶えようとすれば良い。」
「ふぅん……。よくわからないけど、まずは慣れろってことかな?」
「そうじゃ。人として生きることを楽しむのじゃ。
その人生はもしかしたらいつも楽しいことばかりではないかもしれん。
時として辛いことももちろんある。
じゃが、それが醍醐味じゃ。お前がこの肉体と心を私に返すとき、お前が「楽しいかった!」と言って終われるように願っておるよ。」
「ありがとう、かみさま!ところで、「ツライコト」ってなに?」
「そうじゃな……。お前が今持っている「心」というものが潰されたり引き裂かれたりするような感覚のことじゃよ。」
「へえ、これが……。なんか大変そうだね。」
「そうじゃ。しかし、実際はそうではない。」
「え?どういうこと?」
「心の辛さというのは、生きるために必要な痛みなんじゃよ。
その人が「これをしたら自分を守れない」という風に思うから痛いんじゃ。だから、辛かったら時として逃げれば良い。」
「逃げればいいのね!わかったよ!」
「じゃが、逃げてばかりでは何も面白くもないのも事実じゃ。」
「えー?!どういうことー?」
「まあ、行けばわかる。心の痛みを知らずして語っても、何もわからんじゃろうから。」
「そっかー。まあ、たのしみにしていくよー!」
「ただ、これだけは覚えておくと良い。辛さに立ち向かい、すべてを受け止めると、心の奥にお前の姿が見えるのだよ。」
「私の姿が見えるようになる?ううん……私はこんなにも今ハッキリいるのに、それが見えなくなるっていうの?」
「そうじ。それが人間になるということじゃ。」
「私は私!見失ったりしないよ!かみさま!」
「そうかそうか。それは楽しみじゃの。さあ、行っておいで。そら、お前の肉体が出来上がってしまうよ。」
「おっと、大変だ!じゃあ、かみさま!またね!」
「はいはい、行ってらっしゃい。」
「おめでとうございます!元気な女の子ですよ!」
「がんばったね!やっと会えたね!!」
「オギャーオギャー!!!!(なんだこれーーーーーー!!!!!!)」
赤ちゃんもほかの人と同じように1つの魂を持つ
この物語はどうでしたか?
信じがたい、面白い、興味がある、変なの、もっと読みたい、文章がおかしい、魂かわいいなど、人それぞれ感想は違うはずです。
なぜなら、それが生まれ持った個性だから。
生命が生まれることは神秘です。
科学によっても生まれる前や後のことを証明することは難しいでしょう。
なので、どんなに頑張っても私たちが想像で語るほかないのです。
そして、この話が本当であれば、私たち人間はそれぞれ魂をもっています。
肉体や心を操って、生きているのですね。
本当の自分というのは魂のことで、肉体と心が澄み渡っているときに、その声がかすかに聞こえてくるものです。
人によってはその魂のままに生きる人もいます。
それが、「私は○○をするために生まれてきた」という人達ですね。
生まれながらにしてピアノを弾くのがうまいとか、絵を描くのがうまいとか、走るのがほかの人より圧倒的に速いとか。
それは、人によってそれぞれ違います。
だって、それが個性だから。
でも、人間が生まれてきたときには、確実に「私はこうして生きていってみたい」という何らかの意思を持っているのです。
これってどんな人にも当てはまるんですよ。
それを叶えるために自分の心と体があるんです。
心と体は人によって違いますよね。
背が高い人がいれば低い人もいる、消化が良い人もいれば苦手な人もいる。
タフな人がいれば繊細な人がいる。
それってもしかしたらあなたの魂が望んで選んだものかもしれませんよ。
にわかに信じがたいですよね。
「それなら、もっとこういう風に生まれたかった」と思うかもしれません。
しかし、その心は本当にあなたの魂からの声でしょうか?
ただ単に、目の前にいるほかの人と比較して、「隣の芝生は青く見える」状態になっていたりしませんか?
自分が恨んでいる環境はもしかしたら、あなたの糧となるはずです。
それがあなたの生き方になるのです。
どんなに今が辛かったとしても、どうにかして自分のことを知っていけば、きらりと光るものが奥底に見えるんです。
そう、だから知ってほしいことは、「今の常識は本当かな?」と自分を疑うこと。
「しなくてはいけない」ということと「やりたい!」と心の底から思うことは全く違います。
前者は生まれた後に作られた常識です。
そして、後者はあなたの魂から聞こえる本当の声です。
それに従えば、やっぱり心は安らかになるんです。
その魂の声はいつも大きなことをささやいているとは限りません。
「世界中のマッサージを制覇したい」と思ってマッサージをたくさん受けているかもしれないし、「雑草が大好き」という声から道端の草を観察しているかもしれません。
「おじいちゃんおばあちゃんが好きだから、介護が大好き」という声かもしれません。
本当に目の前にある自分にとって当たり前のことが、本当は自分の心の声のささやきであることがあります。
それは人には理解できないし、自分にもなぜこうやっているかもわからないのです。
それ、あなた自身もそうだし、パートナーもお子さんにも言えることです。
「そんなくだらないことをして」ということはまずありえないんです。
だって、雑草が大好きだったら、その人にとって雑草は「そこらへんに生えている名前のない草」ではなく、それぞれ個性がある宝ものなのですから。
それをとことん進めていくと、いつの間にかその子は雑草専門の植物学者になる可能性だってあるのです。
ただの雑草を見ても何とも思わない人もいれば、宝物と思う人もいる。
それほど、「ジョウシキ」は人それぞれ違うんですね。
このように、その人の輝きを抑制されて、「こんな風に生きなくてはならない」ということに従って生きてきた人は、ふと気づいたら「自分、何してるんだろう?」と思うときがあります。
そんな時は今までの自分の行動に後悔することもあるでしょう。
でも、そんな必要はないんです。
なぜなら、それは魂の声にやっと気づけた瞬間だからです。
気付いたなら、突き進むしかありません。
時としてその道は険しく感じることもあると思います。
でも、それはあなたが本当の自分として生きられるチャンスなんです。
なので、自分の心よりももっと奥深くの自分の声に耳を澄ませてみてくださいね。